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【再入荷】聖なる木パロサントが、空気を清浄し、心を穏やかに。

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ギリシャ アトス聖山 ヴァトベディ修道院

これほどまでに熱気をはらんだ深い青空を見たことがあるだろうか。風が道路の向こうにいる女性の髪を揺らす。彼女の控えめな視線はサングラスに隠れている。ぴかぴかの車の隣に立って待つ。車内には夫がいる。無言だ。遠くから彼女が手を振る。リラックスした表情に少しはにかんだ笑顔を浮かべている。魅力的なアクセントの英語だ。彼女は言う「おはようございます、私がマリアです。いくつかご説明しますので、しっかり聞いてくださいね」まさに真剣そのものだ。彼女はギリシャ観光省の代表だ。これはゲームでも趣味でもないと断言する。アトス山の神秘やこれからたどる様々の道のりなどには触れず、アトス山への旅は極秘任務のようなものであるとマリアは説明をはじめる。

 

アテネから訪れる旅人は、ギリシャ特有の曲がりくねった道をたどってテッサロニキへと向かう。そこから先はずっとエーゲ海だ。限りなく透明な海が水平線へと伸びている。まずはウラノポリで風嵐の一夜を過ごす。朦朧とした意識のなか、早朝に目を覚ますと、太陽が優しい絵筆で山腹の影と海面に色彩を与えている。そこからは、天井灯がぐらぐらで換気扇が故障中の事務所への退屈なドライブが待っている。カウンター越しに五つの顔が待っていましたと言わんばかりにのぞく。朝なのに涼しさはまったくない。ギリシャのウラノポリ村はアトス山に通じる控えの間のような場所だ。職員が身分証明書を確認し、一人ひとりにビザを発行する。神が住む領域の入場料は三十ユーロ。人工的に作った古紙にアトス山の管理機関の公式スタンプが添えられる。信仰心の厚い人々の多くは一カ月に一度アトス山を訪れ、信者から集められた寄付金は謎めいた方法で修道院に送られ、壁の再建だったり、果樹園の手入れだったり、あるいはただ美しい景色を維持するのに使われる。


扇風機が事務所中に熱い風を送っている。「船は対岸から出発します」職員は言う——それも間もなく——「逃したくなければ、急いでください」3千キロにおよぶ旅路の最後の移動だ。太陽の光を一身に浴びて、海岸は青い。そっと浮かぶ船が波止場に打ち寄せている。美しい浜辺にひっそりと佇む村の波止場。漁師たちがぼろぼろの小舟に乗って出発しようとする。信者たちは車でやってきて、どこか近くの場所に駐車する。妻、子ども、友人とはここでお別れだ。信者たちはビニール袋とスーツケースを持っている。定期的にこの地を訪れる人々だ。他の信者や知り合いに会うのだ。彼らは挨拶を交わし、少し世間話をしながら日陰を探す。この港で信仰が出会う。信者たちは神の霊気に触れるため、夜明け近い早朝に出発する。そうしたなか、日の出とともにヨーロッパ大陸が音も立てずに目覚めはじめる。

フェリーは毎日同じスケジュールに従って運行している。フェリーを利用する場合はさらに十か二十ユーロを余計に払わなければいけない。金は別のどこかに行くのかもしれないが、好奇心はほどほどにしておくのが賢明だ。まずは、下の甲板か、風の強い上の甲板のブルーの席に座る。数ヶ月前に計画されたこの旅は例外であることを観光省の特使であるマリアが警告した。いつもは信者に限定されているのだ。ジャーナリストたちは骨を折り、観光客はぐるぐると回り続けるが、決してアトス山にはたどり着けない。彼らの船はいつも浜辺のほうを向いているのだ。はるか遠くの海に面した修道院を見つめる。なかには、望遠レンズを使って写真を撮ろうとする者もいる。夏には一万人がこの半島を訪れるが、誰一人として足を踏み入れることはできない。彼らにできるのは、ありのままの美しさ、野生の土地、無人の浜辺、手に入れることができない十字架を眺めるだけなのだ。

船がゆっくりと出発する。海は荒れ模様だ。心が縦横無尽に踊る。ロシア人の男性と息子が甲板で写真を撮っている。それぞれの写真を撮り合っているのだ。ニューヨークとモスクワを行き来して暮らす、アトス山の常連だ。

ここにいる人々と同じように、ギリシャ正教会の教えを心に呼び起こし、世界から一時だけ逃れるために来るのだ。

異質な空間だ。「聖母マリアの半島」とも呼ばれるこの場所は、外界からは閉ざされている。1405年以来、女性は立ち入りを禁止されている。ニュースもまばらで、喜びや悲しみは国境で遮断される。アトス山にいるのは内在的な神だけ。それ以外は神に仕える千人の修道士がいたるところに散らばった20ばかりの修道院で暮らしている。修道士のなかには、山のはるか頂きで暮らす者もいる。他の修道士は、海岸に建つヴァトベディ修道院などで暮らす。一時間少しの船旅のあと、船はようやくその海岸に到着しようとしていた。


ヴァトベディ修道院は、全長40キロほどの半島において最大かつ最重要、そしてもっとも壮麗な修道院だ。堂々とした建造物である。古代の壁面は歴史的なフレスコ画で彩られている。石畳の中庭を行き来する修道士たちが謎めいた黒い影を落とす。修道院にある二つの礼拝堂は金のシャンデリア、キャンドル、聖画、イエスを描いた天井が、礼拝中に焚かれる香の香りでいっぱいだ。香の香りは修道士の日常生活の一部である。それは威厳に満ちた花々の香り——天然だ。

そばにいた修道士が言うには、アトス山の修道院——とりわけヴァトベディ修道院——は暖かな空気と混ざった香の香りで有名なのだ。その香りは遠くにいても鼻孔をかすめる。

 

ヴァトベディの修道士は来る日も来る日も同じことを繰り返す。まだ悪魔たちが祝宴の真っ最中の午前3時半に起床。暗闇のなか、礼拝堂へと向かう。この時間の礼拝堂には、まだ数本しかキャンドルが灯っていないので、そっと表情やジェスチャーをうかがったり、祈りの言葉をささやいたりしかできない。そのあとは様々な日課をこなす。再び礼拝堂へ。昼食には少しのパン、オリーブ、トマトを食べる。ほんの一瞬だけ横になる。礼拝堂に戻り、夕刻までの時間を過ごす。ようやく様々なことに想いを巡らせながら眠りにつくのだ。毎日、こうした信仰の道をたどる。「私たちにはこれで十分。これ以上のものは必要ありません」一人の修道士が言った。

「エンターテイメントや娯楽は一切許されていません。手足で海水を浴びたり、空を見上げたりするのも禁止されています」

一人が淡々と話すなか、別の修道士が言う「ここには時事問題や家庭の事情を立ち入らせません」彼らは皆、限りなく敬虔で自信にあふれている。政治的な混乱から遠く離れ、日課や日々の務めに打ち込んでいるのだ。


ヴァトベディ修道院では、最初の礼拝と夕刻の礼拝のあとに修道院たちはそれぞれの務めに打ち込む。それぞれには専門的な仕事があるのだ。フランス人の修道士は、修道院の上の回廊にある小さな事務所の一室で本を装丁する。祈りを捧げていないときはいつもここにいるのだ。窓からは一点の曇りもない、静かな海が見渡せる。本棚には書籍や小物が並んでいる。アトス山に来て10年になる、修道士のひげは真っ白だ。衣服は当初と同じ黒さを保っている。「『Combat』というフランスのレジスタンス系新聞の文化欄を担当するジャーナリストでした。」修道士は記憶をたどった。1980年代のパリの狂乱や冒険的な夜を謳歌し、明日のことなんて考えずに毎日を駆け抜け、永遠に続く謎めいたオルガスムのような夜を過ごしたそうだ。彼は続けた「昔、パリのボビノで歌っていたレジーヌの記事を書いたことがあります。私はてっきり、レイジーヌが服装倒錯者だと思っていました」ここを永遠の住処とするまで、精一杯幻想の世界を生きてきたと修道士は言った。兄弟が時々会いに来るそうだ。退廃的な出来事ともある程度のつながりは保っている。驚く様子もなく、冷静にマリーヌ・ルペンの成功を分析する。「フランスはもはや、差別主義者の国です」


風がそよぐ中庭では、別のフランス人の修道士が礼拝堂へと急ぐ。彼は立ち止まり、ささやくような小声で話す。長い間、フランス語を聞いていないらしく、驚いている。28年前、彼もまた、他の人々のように船に乗ってここに来た。それ以来ここを離れたことはない。すでに太陽が昇っていた。来る日も来る日も変わることのない、日々のリズムが刻まれる。修道士はフランスのロレーヌ地方の出身だと言う。ロレーヌと言えば、かつてはその工場で鋼鉄を製造していたアセロール・ミッタル社の鉱炉の燃えに燃え、やがて冷め、消えていった場所だ。まだ鉱炉は使われているのか、と恐る恐る尋ねた。フランソワ・オランドが誰なのか、彼は知らない。ここに来てから7年間はどこへも行こうとしなかった。少しずつ、世界は茶番劇へと堕ちていった。「驚くべきことです」彼は言う。家族は遠いところにいる。それでいいのだ。そしてつぶやいた。「でも、兄弟や姉妹が亡くなったら、知らせてほしい」


またしても食事、そして礼拝の時間だ。何も書かれていない扉の向こうに何世紀にもわたるアトス山の存在を証明する修道士のプライベートコレクションがある。トルコのスルタンからの手紙や聖遺物など、この島がオスマン帝国の占領下にあった時代のものだ。隣国からの贈り物もある。部屋の隅、ガラスのショーケースの底にはチャールズ皇太子とカミラ夫人の結婚式で贈られた小箱が隠れている。なかにはウェディングケーキのかけらが永遠の時とともに朽ちている。ある修道士は、ここを訪れるのはギリシャ正教徒だからだと言う。しかし、それをひけらかす様子はない。「プーチン大統領も来ます。ここのワインがお気に入りなんです」満足げに一気にまくしたてる「パパンドレウやサマラスのようなギリシャの指導者たちもアトス山の祝福を受けにやって来ます」権力者の紋章がいたるところに飾られている。私たちを取り囲むように、風が無秩序の自然の世界を揺らす。木々が一斉にざわめき、花々が咲く。数台の車が修道院から修道院へと続く山や谷の道を蛇行する。木々は猛烈な緑色だ。礼拝堂では、本日最後の儀式が行われている。まずは修道士が香を焚き、その香りを祭壇へと運ぶ。慣れると親しみを感じる香りだ。香りが近づくにつれ、可能性と力に満ちた波に打たれるような感覚だ。


他のすべてのもの同様、香も修道士によって作られる。大きな黄色い塊の樹脂はエチオピア産だ。香作りを任されている修道士は、礼拝堂の入り口のそばにある地上階の工房で働く。そこで樹脂の塊を割り、乾燥させ、小さく切り分けるのだ。大きさがばらばらの小さな球状の樹脂は白い粉で覆われ、大小様々な箱に収められる。修道士たちは真剣そのものだ。隣の工房では、魂の同胞たちが高地で集めた薬草を使って軟膏を作っている。このクリームには力が宿っている、と修道士は太鼓判を押す。肌を癒したり、美しくしたりするだけでなく、傷を治したり、シワを消したりするのだ。軟膏作りを担当する修道士が言うには、ここを訪れる病人たちは特別な植物の煙を吸い込み、肌に軟膏を塗って優しくマッサージするだけで、健康になって帰っていくそうだ。


きれいに櫛を通したひげをたくわえたアメリカ人の修道士は死の訪れを待っている。それはある日、礼拝か食事の途中に、あるいは二つの儀式の間に、または夜と次の夜の間に訪れ、彼を安らぎへと導く。彼は恐れていない。死は先に逝った人々と同じように彼を包み、連れ去るだろう。残された肉体は手足を切断されて修道院の隣にある共同墓地に埋葬される。いくらか黄ばんだ頭蓋骨は、木造の小屋の棚にしまわれ、永遠の眠りにつく。頭蓋骨のなかにはまだ歯が残っているものもある。あご骨が弱々しくぶらさがっている。アメリカ人の修道士は頭蓋骨を眺め、触れる。アトス山に来て17年になる。二度とここを離れないことは確かだ。魂だけがこの世から解放され、自由になることを願う。


数日後に船が戻る。向こうの海岸の日常へと戻る信者たちを集める。それはもっと現代的で、もっと圧倒的で、スピードのある別の生活だ。リアーナがティーネイジャーたちを熱狂させる世界。対立や戦争が吹き荒れ、憎しみが広がる世界。そんな世界の騒音から、私たちは時として自分自身を守りたいと思う。船はゆっくりと岸を離れる。海岸が波の向こうに消える。修道院が風景とともに遠ざかる。たしかに、ここは存在している——これからもずっと。


メヒディ・メクラとバドゥルディーン・サイード・アブダラによる共著

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エピソード1

紀元前10年のローマ。皇帝との逢引きを前に、念入りに準備をする若いカッシア。驚きの素材を使ったボディケアやフェイスケアをはじめ、アウグストゥス皇帝時代に流行した香りの秘密を打ち明けます。

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