「エジプトのピラミッドは、
『ピクニック』(1876年制作)
ジェームズ・ティソ
秋の足音が聞こえてくると、まるで夏との別れを惜しむように、空はサフランの色調に染まります。
日が短くなっていく様子は、太陽を司る神々が恭しい足取りで遠ざかっていくかのよう。
再会の約束を胸に、次の場面の主人公である秋と紅葉に玉座を譲ります。
静かに去り行く美しき夏。それが宿命であることは、誰もが知っています。
来年の6月に再会を果たしたあかつきには、私たちは夏の素晴らしさを讃えながら、新しい季節の幕開けに心を踊らせることでしょう。
秋になると鮮やかな緑色の葉は赤や黄に色を変え、やがて木から落ちて地面を覆います。
絨毯のように落ち葉が敷き詰められた道は、沈黙が支配する眩い王国のようです。
本格的な秋の到来とともに日の出がだんだんと遅くなり、朝の空気はひんやりと張り詰めます。その一方で、孤独な自然は七色の色彩と気まぐれな天気を披露。
エメラルドグリーンからイエロー、オレンジ、レッド、さらにはアイスブルーへと変わりながら、私たちを静かな瞑想の時間へと誘います。
実際、多くの詩人やロマンチストたちが時には苦しみを、時には感動を表すために、メランコリックな秋について歌ってきました。
たとえばフランスを代表するロマン派詩人のラマルティーヌは、この季節特有の憂鬱な気分に沈みながらも「喪に服す自然は、私の目を和ませてくれる」(『瞑想詩集』1820年)と述べています。
また、ボードレールは「燃えるように明るい、短すぎる夏の光よ、さらば」(『悪の華』1857年)と歌いました。
秋の憂鬱さよりも、その美しさに魅了されたフランソワ・コッペは、「10月の朝」(1892年)という詩のなかで、バラ色に染まった秋の曙の空は光り輝く冬の空に引けを取らないくらい美しいと述べ、アポリネールはブドウの若枝のあいだから注ぐ光を見て、9月末のパリの美しさを絶賛しました(「葡萄月」1913年)。
これらはすべて、四季のなかで秋がもっとも瞑想に適した季節であることの証しなのかもしれません。
「秋とは、太陽が記した“追伸”である」
ピエール・ヴェロン
『バイエルンの秋』(1908年制作)
ワシリー・カンディンスキー
秋は、春に蒔かれた
自然の恵みを収穫するとき。
だからこそ、その色彩と香り、そして情緒を
思う存分に楽しもうではありませんか。
『秋のポプラ並木』(1884年制作)
フィンセント・ファン・ゴッホ
「先日、ぼくはかなり大きな習作を描き終えた。それは紅葉したポプラの木が連なる夕暮れの並木道を描いたもので、道のそこここに赤や黄色の葉っぱが落ちている。落ち葉の明るい色は、細長いポプラの木々が地面に投げかける暗い影と対照的だ。道の向こうには山小屋があり、色づいた木々の葉のあいだからは真っ青な空が見える」
フィンセント・ヴァン・ゴッホが
弟テオに当てた手紙より(1884年)
四季折々の香りを纏って
春夏秋冬ある四季には、空や花の色合い、時刻ごとに感じる情緒、香りなど、それぞれの魅力があります。
季節の変化に合わせて衣服を選ぶように、肌もまた、その季節にふさわしい香りで彩りたいもの——変化に富んだ秋の雰囲気とよく合い、憂鬱な気分をリセットしてくれるフレグランスを纏ってみませんか。