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イリス・ドゥ・マルトの香り、清潔なリネンの遠い記憶

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世界の果てから、 親愛なるあなたへ オフィシーヌが贈る、香り高き書簡たち

『静物を描いたトロンプルイユ(だまし絵)』
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン(1666-78年)オランダ


「世界の果てから、親愛なるあなたにこうして手紙を書いています。そのことをあなたに知ってほしかった。ここではよく木々が揺れます。わたしは、枯れ葉を集めているのです……」。

フランスの画家で詩人のアンリ・ミショーの謎めいた言葉は、私たちにとって“書く”という行為がいかに重要であるかを改めて教えてくれます。同時に、物質としての紙自体も、私たちには欠かせないもの。

ミショーが集めていた枯葉は、まだ何も書かれていない、まっさらな便箋だったのかもしれません。

この度、菜園の香りのコレクション〈レ・ジャルダン・フランセ・ドゥ・オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー〉より、香りを纏ったイラスト入りポストカードと封筒のセットが、6種の香りで7月18日(金)より登場いたします。
 
封筒を開けた瞬間から魅惑的な香りが広がり、美しいイラストと調和を奏でます。


進化し続けるデジタルテクノロジーは、私たちのプライベートまで大きく変えました。スマホひとつで簡単に連絡が取れるこの時代に文字をしたためたり、スケッチを描いたり、手紙で愛を告白したり、ちょっとしたメッセージを伝えたりすることは少なくなってしまったようです。

そんな時代だからこそ、わざわざ手紙を書いて封筒に入れ、切手を貼ってポストに投函するという行為には、相手を思いやること以上の意味があります。それは現代社会の無関心に抗おうとする“レジスタンス”でもあるのです。

今回のニュースレターでは“手紙”を紐解きます。
手紙を書く親密な時間や、紙の上に刻まれ、図らずも時を超えることになった誰かの思い出、書簡集に思いを馳せながら、ときには胸を打ち、ときには書き手の遊び心やクリエイティビティを垣間見せてくれる、手紙という“証人”を讃えようではありませんか。

アンリ・マティスが、友人の画家アンドレ・ルヴェールに宛てた手紙。
イラストと宛名はマティスの直筆(1943年2月10日)

「まるで空を飛び回る鳥のように、
郵便配達員がドアの下にそっと差し込む
いくつもの恋文。
それは心のこもった幸福の便りにほかならない」

シャルル・トレネ
シャンソン「郵便配達員が空をかけるとき」より

香り高きポストカード〈カルト・ポスタル・パルフュメ〉の発売を記念して、2025年7月18日(金)より、“代筆と郵便サービス”を展開する、二子玉川 蔦屋家電 POP-UP イベントを開催いたします。


言葉と香りを称える芸術的な祭典。
晴れた日の午後、
スクリーンからしばし離れて、
緑と詩を楽しんでみませんか。


〈レ・ジャルダン・フランセ〉コレクションの野菜やハーブたちが織りなす菜園の香りのパレットを表現した空間で、受け取る人への思いを込めて、和やかな気持ちで文をしたためる贅沢。

近年ますます簡易化するチャットやメールは小休止して、手書き書簡の魅力を再発見するのはいかがでしょう。

お好きな香りのポストカードとメッセージをお選びいただき、カリグラフィーを書き入れ、オリジナル切手を貼り、日本国内への投函まで承ります。


開催期間:2025年7月18日(金)~7月31日(木)
営業時間:10:00~20:00
場所:二子玉川 蔦屋家電 1F POP-UPスペース


また期間中、POP-UP イベントにて製品をお買い求めの方には、〈ビュリー〉二子玉川店にて大理石のフレグランスキャンドルポットに収められた可愛らしいトマトの苗木などのギフトをご用意しております。(数に限りがございます)
※トマトの苗はご好評につき終了し、水性香水のミニボトルをご用意しております。(こちらも数に限りがございます)

アルベール・カミュと女優のマリア・カザレス(1950年2月)

2017年、ノーベル賞作家アルベール・カミュと女優マリア・カザレスの書簡集がフランスの大手出版社ガリマールから刊行されました。

書簡集のページ数はなんと1300ページ。そこには、1944年から1959年にかけてふたりが交わした、900通以上の手紙が収められています。

それは単なる書簡集というジャンルを超えたもので、ひとつひとつのページから愛し合うふたりの情熱とインスピレーション、一緒にいられないことへの突発的な苛立ちが手に取るように感じられます。

その当時、ジャン・ヴィラール率いるフランス国立民衆劇場の女優として活躍していたカザレスは、20世紀最大の悲劇女優になるための道を切り開こうとしていました。対するカミュは、すでに『異邦人』を発表し、作家として揺るぎない地位を築いていました。

カザレスは、フランコ政権を逃れてフランスに来たスペイン人。カミュはアルジェリアの出身(アルジェリアには妻子を残していました)。ふたりは、フランス社会における“異邦人”だったのです。そんなふたりを結びつけたのは、演劇と言葉に対する燃えるような愛情と、名誉のために闘おうとする強い気持ちでした。

カミュは、カザレスのためにいくつもの戯曲を発表しました。なかでも『正義の人びと』の主人公のひとりであるドーラは、カザレスが演じることを想定して書かれていました。そんなふたりは、10年以上にわたって恋の炎を燃やし続けました。

1959年12月30日、カミュはカザレスとの再会を前に、次のような手紙を送っています。

「きみのレインコートを畳んで、封筒に入れてしまおう。そして、心を明るく照らす太陽を一緒に浴びるんだ。愛するマリア、もうすぐきみに会える。そう思うと、この手紙を書きながら、思わず笑みがこぼれてしまう。もう誰も、ぼくからきみの笑顔も、きみと過ごす夕べも、故郷も奪えないのだから。愛しいマリア、きみにキスを送ろう。そして火曜日まで、きみのこと考えながら過ごすことにしよう。そこから、ぼくの再出発がはじまるんだ」。

その5日後の1960年1月4日、カミュは友人で出版者のミッシェル・ガリマールとともに自動車事故に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。

「今日はじめじめしていて耐え難い暑さだ。こんな日は沈黙、裸体、陰鬱な書物、放棄のためにあるのだろう。だが、ぼくはきみの髪の色のことばかり考えてしまう」

アルベール・カミュがマリア・カザレスに宛てた手紙より(1948年8月28日)

(左)『自画像』フィンセント・ファン・ゴッホ(1889年)
(右)ゴッホが弟テオに宛てた手紙。アイリスが咲く野原のスケッチが添えてある(1888年12月5日)

フィンセント・ファン・ゴッホが弟テオドルス(テオ)に手紙を書きはじめたのは1872年のこと。当時ゴッホは19歳でした。それ以来、ゴッホはテオに手紙を書き続けました。

それから18年後の1890年7月、テオはフランスのオーヴェル=シュル=オワーズでピストル自殺をした兄のポケットの中に一通の手紙を発見します。それは兄が自分に宛てた最期の手紙でした。

普段からゴッホは、テオに宛てた手紙の中で日常生活や画家としての苦悩、自身が思い描く芸術に捧げられた終わりなき闘い、ゴーギャンをはじめとする画家たちとの出会い、さらには自らの作品にインスピレーションを与えることになる日本の浮世絵に対する憧れや、ユゴー、モーパッサン、シェイクスピア、トルストイといった作家たちへの愛着を語っていました。

テオはそんな兄を暖かく見守り、生前は『赤い葡萄畑』という作品しか売ることができなかった兄にカンヴァスや絵の具を送り、献身的に支えました。

兄の死から一年がたった1891年、テオは兄の後を追うかのように世を去ります。テオの妻ヨハンナは、義兄が遺した素晴らしい作品と兄弟の書簡の管理人となり、それらを大切に守り抜きました。

絶望と喜びに引き裂かれながら、厳しい現実に立ち向かい続けたゴッホの芸術家としての強さは、今日では世界中から畏敬の眼差しを向けられるゴッホの絵画はもとより、「わたしにはどうしても宗教が必要だ。だから、夜は外で星を描くのだ」という彼の言葉からもうかがい知ることができます。

「芸術の中の芸術、誉れ高き表現、書簡の光輝く太陽——すべては簡潔さによってかなえられる」

ウォルト・ホイットマン

(上)フィッツジェラルド夫妻と娘のスコッティ。アメリカのビーチにて(1927年8月)
(下)スコット・フィッツジェラルドが、ハリウッドの有名ホテル“ガーデン・オブ・アラー”から、自分に宛てた葉書(1937年夏)

アメリカ生まれの作家スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダ。このふたりといえば、終わることのない南仏コートダジュールの宴、宮殿のような邸宅からとめどなくあふれるシャンパーニュ、ガートルード・スタイン率いるパリの華やかなアメリカ人コミュニティを連想する人も多いのではないでしょうか。

そんなふたりは、打ち上げ花火の後にふと感じるノスタルジーに胸を焦がしながら、1920年代から1930年代という大戦間の時代を彗星のごとく駆け抜けた「失われた世代」の象徴でもあります。

ふたりの華やかな社交生活は、1929年の世界恐慌とゼルダの精神病発症によって幕を下ろし、ゼルダはスイスの精神病院に入院することになりました。

バレエダンサー、画家、作家とさまざまな顔を持つ自由人ゼルダは、1932年に夫婦の生活に材を得た小説『ワルツはわたしと』を上梓。対する夫も、同じテーマを描いた小説『夜はやさし』を1934年に刊行。後者は名著として、いまも親しまれています。

ふたりが交わした手紙からは、1930年代がふたりにとって怒涛の時代だったこと、借金と病気、果たされなかった約束と破れた夢の連続だったことに気づかされる一方で、その文面からは、共鳴し合うふたりの才能を感じることができます。

1939年3月、憔悴したゼルダは夫に手紙を書きます。それは狂乱と放蕩に満ちた夫婦生活に終わりを告げる“墓碑銘”だったのです。

「いつまでも、あなたのことを——あなたの作家としての素晴らしい才能、忍耐強さ、優しさを心から愛しています。どうか幸せになってください。わたしは、心からそう願っています。わたしたちの生活からは、何も残すことができなかったから」。

それとは対照的に、フィッツジェラルドに関しては、手紙をめぐる不思議なエピソードが残っています。1937年、当時ハリウッドの有名ホテル“ガーデン・オブ・アラー”に滞在していたフィッツジェラルドは、自分に葉書を書いたのです。

この頃、フィッツジェラルドは映画の脚本を執筆していましたが、ハリウッドの厳しい現実に直面し、アルコールに溺れるようになっていました。

切手まで貼ってあるにもかかわらず、ついには投函されることがなかったこの葉書には「親愛なるスコット、元気かい? きみに会いに行きたい。ぼくは“ガーデン・オブ・アラー”で暮らしているんだ。友情を込めて、スコット・フィッツジェラルドより」という言葉が。フィッツジェラルドの深い孤独が感じられます。

「しばらくしてから、
特にこれといった目的もなく撮影された写真や、
そのときの気分によって選ばれた絵葉書が
ひとつの道筋を描きはじめた。
それは、私たちの目の前に広がる
架空の国へと通じる道を記した地図であった」

クリス・マルケル

(左)ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862年)のポートレイト(1847年)
(右)ソローが編集者のホレス・グリーリーに送った手紙(1848年5月19日)

アメリカ・マサチューセッツ州生まれの哲学者、自然学者、詩人として知られるヘンリー・デイヴィッド・ソローは、手紙の名手でもありました。

ソローは家族だけではなく、見知らぬ人にも何百通もの手紙を書き、自身の経験談、とりわけマサチューセッツ州の人里離れたウォールデンの森での生活について語りました。

そんなソローと人々の手紙のやりとりのひとつに、彼が師と仰ぐラルフ・ワルド・エマーソン(19世紀初頭に超越主義を唱えたアメリカの哲学者)との往復書簡があります。

ふたりの手紙からは、反抗的で因習打破的、それでいて好奇心旺盛で、社会と環境に関する先進的な理想を抱いていたソローの姿が垣間見られます。

さらには、「わたしは芝生と同じ種族に属している。わたしが単調な忍耐力を持っているのは、そのおかげだ。芝生のように、冬は春の日差しを待ち望んでいる」という文章からもわかるように、自然に対する強い愛情と自嘲的なユーモアが入り混じった視点も持ちあわせていたようです。

郵便受けは、ぼくの隠れ家だった。それはぼくと世界をつないでくれる存在であると同時に、何かを生み出す暗い力を持っていた」

ポール・オースター『鍵のかかった部屋』(1986年)より

(左)『ボヘミアン(モンマルトルのアトリエにいるエリック・サティの肖像)』サンティアゴ・ルシニョール(1891年)
(右)サティがドビュッシーの妻エマに宛てた手紙(1915年1月31日,パリ郊外アルクイユにて)

作曲家エリック・サティの死後、彼と親交の深かったジャン・コクトーやピカソらは、パリ郊外のアルクイユのサティのアパルトマンを訪れました。そこでサティが置かれていた貧困状態を目の当たりにし、愕然とします。ですが、驚きはそれだけではありませんでした。

アパルトマンには、積み重ねられた2台のピアノと、整理整頓された何本ものこうもり傘、そして数えきれないほどの手紙が遺されていたのです。手紙は封がされたままで、埃をかぶっていました。

たしかにサティは、友人たち——アポリネール、ルネ・クレール、クロード・ドビュッシー、セルゲイ・ディアギレフ、コンスタンティン・ブランクーシ、アンドレ・ドラン、ダリウス・ミヨーなど——に、まるで楽譜のようなシュールな手紙を書くことが好きだったようですが、自分に宛てられた手紙の封を開けようとはしませんでした。

サティの“奇行”は、ほかにもあります。一日2回だけ、それも12時11分と19時16分という決まった時間に白い食べ物(卵白、白米、ココナッツの実など)しか食べないこと、ベルベットの服しか着ないこと、常にハンマーを持ち歩いていたこと、さらには「運転手イエス・キリストの都会芸術のための教会」なる宗教を開き、開祖および唯一のメンバーとして活動していたことなどです。

音楽活動においても、奇抜なサティの作品はなかなか世間から見向きもされず、自作の曲をキャバレーで演奏する日々を送っていました。

その一方で、仲間たちのあいだでは高く評価されていたようです。1910年には、サティに心酔していたモーリス・ラヴェルの援助によって、初めてコンサートが開かれました。

妥協を許さない前衛主義者であったサティは、1888年に3つのピアノ曲『ジムノペディ』を作曲。1890年には、6つのピアノ曲からなる『グノシエンヌ』を完成させました。1903年には、「真の友人として、きみに伝えたいことがある。きみの曲には、時おり形式というものが欠けているように思えるんだ」と手紙で忠告をした友人のドビュッシーに対する皮肉を込めて、全7曲で構成される『梨の形をした3つの小品』を作曲しました(訳注:フランス語の「梨」には「間抜け」の意味がある)。

奏者に対する指示も、「手の隅っこから弾くように」など、シュールな手紙と同じくらい謎めいたものでした。なかでも、全3曲からなる『干からびた胎児』の「歯に痛みを抱えているサヨナキドリのように」という演奏指示は、もはやシュールを超えて意味不明です。

サティのエキセントリックさは演奏指示にとどまらず、『ヴェクサシオン(いやがらせ)』(1893年)のように、短いモチーフを840回繰り返す曲にも発揮されています。この曲は、譜面に書かれた通りのテンポで演奏すると、なんと24時間もかかるのですが、サティの信奉者である作曲家のジョン・ケージが1963年に初演したことでも知られます。

そんなサティのキャリアにも、ようやく転機が訪れます。1917年に、バレエ・リュスの主宰者であるディアギレフから、『パラード』というバレエの作曲を依頼され、舞台セットを担当していたピカソと、台本を任されていたコクトーとともに働くチャンスを手に入れたのです。

サティが亡くなる一年前の1924年に書かれたバレエ音楽『ルラーシュ(本日休演)』(台本:フランシス・ピカビア)は、既成概念を壊して個人の欲求を解放する芸術運動「ダダイズム」の精神を見事に反映したものでした。

「わたしは変わり者ではないし、そうなりたいとも思っていない。わたしはメランコリックで泣いてばかりいる、柳のように悲しい人間なんだ……」という言葉からもわかるように、サティの無数の手紙は、サティが不条理とブラックユーモアを好んで織り交ぜていたことが伝わってきます。

「ふう-とう【封筒】
(1)手紙・文書などを封入する紙袋
(2)請求書を納める鞘
(3)振込票の覆い
(4)恋文を横たえるベッド」

アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』(1911年)より

(左)絵本作家エドワード・ゴーリー(1925-2000年)ニューヨーク・ブロードウェイで上演された舞台『ドラキュラ』のセットにて(1977年9月)
(右)ゴーリーが友人のピーター・ノイマイヤーに宛てた手紙。イラストはゴーリーの直筆

無類のバレエ&猫好きとして知られるエドワード・ゴーリーは(25年間、ニューヨーク・シティ・バレエの全公演に足を運んだそうです)、絵を描くことに生涯を捧げました。

そんなゴーリーは、絵本作家として独自路線を歩みながら、変幻自在な作品を世に送り出し、エドガー・アラン・ポーにも匹敵する、ヴィクトリア様式を散りばめたゴシックでダークな世界観を打ち立てたのです。

ゴーリーは、1992年のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで次のように語っています。「ナンセンスを描くのであれば、それは恐ろしいものでなければならない。恐ろしくないナンセンスには、意味なんてないからだ。わたしは、陽気なナンセンス——太陽のように明るい、子供向けのナンセンスというもの模索しているが、そんなものはなんて退屈なんだろう。『陽気な音楽なんて存在しない』とシューベルトが言ったように、陽気なナンセンスも、この世には存在しないのだろう」

その一方で、長期にわたってゴーリーが友人で児童文学作家のピーター・ノイマイヤーと交わした手紙は、その見事な発想力とクリエイティビティで読む人を思わず笑顔にしてくれます。それもそのはず、ゴーリーがノイマイヤーに宛てた手紙の封筒には、見事なイラストが描かれてあったのです。

ふたりが文通をはじめたきっかけは、ゴーリーの入院でした。海に落ちそうになっていたゴーリーを、ノイマイヤーが助けたのです。幸い、大きな事故にはなりませんでしたが、ゴーリーは腕を脱臼。ふたりは、病院の待合室で意気投合しました。このエピソードは、その後、いくつもの作品の中で語られています。

ふたりの手紙には、見た目の美しさを超えて、子供の世界の豊かさと、言葉と絵を使って読者を魅了する物語を作る秘訣が詰まっています。

「かわいいミリアムへクリスマスプレゼントに150ドルの小切手を同封したから、おまえの好きなように使いなさい。パパに返したいと思うのであれば、それでもかまわない」

グルーチョ・マルクス娘ミリアムに宛てた手紙より

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