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〈オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー〉のオフィス探訪記

天才的なひらめきは美しいインテリアから
そんな言葉を体現する、魅惑のオフィスをご紹介

フランスの彫刻家フランソワ=グザヴィエ・ラランヌが1967年に制作した羊の椅子に座り、同じくラランヌが手がけた等身大のサイの机に向かう子供(撮影:カルロ・バヴァニョーリ)

新学期のスタートに際し、勉強や仕事に欠かせないノート、鉛筆、書籍、PC、ケーブル、ハードディスク、携帯電話の存在が再び注目を集める9月。
 
デジタルの普及によって2000年以降は、一般的なオフィスでは山積みの書類や抱えきれないほどの資料は姿を消しました。
 
ですが、個人あるいは集団で働き、創造し、成長し、議論し、集中し、考えるための場所であるオフィスは、今も変わらず存在しています。〈オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー〉も例外ではありません。
 
共同創業者 兼 アーティスティックディレクターのラムダン・トゥアミが自らデザインした〈ビュリー〉の本社オフィスはパリのサンジェルマン・デ・プレの中心部、ゲネゴー通りから一歩入ったプライベートな空間に佇んでいます。
 
木材とガラスをメインに取り入れた正面玄関の前には、涼やかな印象を与える竹の植え込みと日本庭園が広がり、独創的な雰囲気を創出しています。
 
広々とした1階には、独立したブティックのように設計されたEC部門のスタジオが隣接しています。
 
その逆サイド、ゆるやかな曲線を描く彫刻が施された、ペトロールカラーの大きな漆塗りのテーブルが置かれた空間を仕切っているのは、ブルー、マスタードイエロー、ボルドーを基調としたシェルフ。
 
趣が感じられる木の梁をはじめ、ところどころに置かれたフォレストグリーンやエレクトリックブルーのフェルトソファが親しみやすく、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。


ブルーやマスタードイエローのシェルフで仕切られた、
〈ビュリー〉のパリ本社の内部

世界中の〈ビュリー〉のブティックがそうであるように、オフィスとブティックが融合したこの空間もまた、細部にまで美が宿る劇場へと変貌します。
 
それを象徴しているのが、スタッフがカリグラフィーを学ぶためのアトリエの一角を支えている壁。これは12世紀にフィリップ2世によってパリに造られた城壁の一部なのです。
 
こうしたディテールは、1803年の創業以来、歴史にその足跡を刻み続けてきた〈ビュリー〉の歴史とも共鳴します。
 
〈ビュリー〉らしさを象徴する大理石や木材などの素材、艶やかなラッカー仕上げ、さらにはワインレッドやインペリアルグリーンなどの色使いは、歴史に名を残す著名人や芸術家たちのオフィスでも見ることができます。
 
今回のニュースレターでは、卓越した才能を持つ人々のオフィスにまつわる5つの物語をご紹介します。
 

「そこから世界を見るには、
机というのは危険な場所だ」
ジョン・ル・カレ


左/パリのヴォージュ広場の館にあるヴィクトル・ユゴーの書斎。現在は記念館になっている。右/フォンテーヌブロー城にあるナポレオンの書斎

帝政時代のグリーン

フランスが生んだ偉大な作家・詩人のヴィクトル・ユゴーが1832年から1848年まで住んでいたパリのヴォージュ広場6番地のアパルトマンは、緋色の居間やシノワズリ様式で飾られたサロンなど、すべての部屋がユゴーの好みで華やかに装飾され、異なる色調で彩られていました。

なかでもユゴーがいくつかの最高傑作を執筆した書斎は、インペリアルグリーン(いまで言うところの“エメラルドグリーン”)のダマスク織で覆われていました。

この特別な色はフランス皇帝ナポレオン1世のお気に入りでもあり、第一・第二帝政時代の室内装飾の発展とも密接に関係しています。

ナポレオンは、フランス国旗の青、白、赤のトリコロールの代わりに緑色の旗を採用することを提案したほど、この色を愛していたと言われています。

コンピエーニュ城やフォンテーヌブロー城など、生活と仕事場を兼ねたこれらの場所には「遊戯」「希望」「運命」「幸運」などの意味合いを持つインペリアルグリーンが取り入れられ、席を立たずに書類を収納できる機能的なデスクが置かれました。

当時の染色業者は、「扱いにくい」とされていたインペリアルグリーンの色を安定させるために猛毒のヒ素を使用していました。

亡命先のセントヘレナ島に建てられた邸宅「ロングウッド・ハウス」の壁紙にはこの毒が大量に含まれていたため、ナポレオンはヒ素中毒が原因で亡くなったという説も残されています。

「散らかった机が心を表すのなら、何にもない机は何を表すのだろう?」

アルベルト・アインシュタイン

パリのゲネゴー通りの〈ビュリー〉の本社オフィスを彩るフォレストグリーンのソファ

左/画家サイ・トゥオンブリーの住居とアトリエを兼ねたローマのパラッツォの一角にあるオフィス(撮影:ホルスト・P・ホルスト、1966年)右/ミラノのデッツァ通りの自宅にあるジオ・ポンティのオフィス

大理石の痕跡

大理石の魅力は、その美しい色合い、結晶の反射から生まれる光、艶、なめらかな手触り、指紋のように一つとして同じものがない模様です。

さまざまな美質を備えた大理石は古代から珍重され、建築に用いられてきました。

古代ローマでは、白、黄、赤、緑、灰色の大理石が2000年以上も前から至る所に使われています。

アメリカ生まれの画家サイ・トゥオンブリーと妻ルイーザ・タチアナ・フランケッティが1950年代の終わりから暮らしたローマのモンセラート通りのパラッツォ(宮殿)は、そのひとつ。

17世紀に建てられたこのバロック様式の宮殿は、床や扉枠、ローマ皇帝の胸像など、ありとあらゆる形の大理石で装飾されています。

この繊細な淡色系の大理石に囲まれた環境が、1960年代を通じてトゥオンブリーの作品に見られる色使いに強い影響を与えたことは明らかです。

時を同じくして、イタリアのミラノ出身の建築家、デザイナー、作家のジオ・ポンティは、ミラノのデッツァ通りにある自身のオフィスに自らの情熱と熱意を注ぎ、唯一無二の生活空間をデザインしました。

床にはさまざまな色の大理石が万華鏡のように敷き詰められ、自宅やカッシーナ社のためにデザインしたエレガントで明るい色の家具、椅子、机が美しく配置されています。

「カラスと書き物机はなぜ似ているの?」

『不思議の国のアリス』
ルイス・キャロル(1865年)

インクやペンなど、さまざまな道具が置かれたカリグラファーのデスク

左/メキシコシティの「カサ・アズール」にあるフリーダ・カーロのアトリエ右/ニューヨークのオリンピックタワー最上階にある、鏡と赤い漆で装飾されたファッションデザイナー、ホルストンのオフィス

深遠なる赤

首都メキシコシティのコヨアカン地区にある「カサ・アズール」は、1929年から1954年まで画家フリーダ・カーロとその夫、画家ディエゴ・リベラにとっての避難所であり、アトリエであり、生活の場でした。

「青い家」を意味するその名の通り、外壁は鮮やかな青色で塗られています。中に入ると、鮮やかな緑と黄金色に彩られたキッチンと、テラコッタのタイルが敷かれた深紅のアトリエ 兼 書斎が目に飛び込んできます。

深紅は、カーロが若い頃に負った癒えない傷を思わせる色であり、彼女のお気に入りのテーマの一つである子宮の色でもあります。

カーロが創作のために「自分自身を忘れる」必要があるとき、逆説的にもこの色は生きた巣のように彼女を包み、守っていたのかもしれません。

ファッションデザイナーのロイ・ホルストン・フローウィックが1978年にニューヨークの巨大なオリンピックタワーの21階に構えたオフィスは、それ自体が華やかな時代の、外向的で官能的、自己陶酔的で気取らないモダニズムの宣言そのものでした。

無限に反射する鏡張りの壁とドア、赤いカーペットと椅子、赤く塗られたテーブル、さらには世界の頂点に立ったような気分にさせてくれるマンハッタンの絶景が一望できる大きな窓……。

ホルストンが何よりも愛し、年間50万ドル相当を費やしたと言われる白い蘭が、この贅沢への熱狂を象徴しています。

ホルストンの尽きることのない豪著への欲望を反映したオフィスは、わずか数年で彼の破滅を招くことになったのでした。

「私は作家としての自己規律を
常に誇りに思ってきた。
仕事のようにこなす。朝起き、机に向かう」

サルマン・ラシュディ

〈ビュリー〉のスタッフがカリグラフィーを学ぶアトリエ

左/ジェーン・オースティンが晩年を過ごしたハンプシャー州チョートンの自宅にあるウォルナット材のテーブルと椅子右/作家ゾラが机に向かう姿を描いた『エミール・ゾラの肖像』(1868年)マネ作

濃密な光沢

イングランド南部ハンプシャー州の田園地帯が見渡せる明るい窓の下に置かれたウォルナット材の小テーブルと、リージェンシー様式の黒塗りの椅子。

英作家ジェーン・オースティン(1775年-1817年)が『高慢と偏見』(1813年)、『分別と多感』(1811年)、『エマ』(1816年)など、ほぼすべての代表作を執筆したこの机は驚くほど小さくて慎ましやかで、神秘のベールに包まれたオースティンの人生を象徴しているかのようです。

この椅子が置かれたコテージは、オースティンが人生最後の8年間を過ごした場所。ここでオースティンは世間に知られることなくひっそりと作家としての道を歩み始め、匿名で出版した最初の小説によって大きな成功を収めました。

ですが、彼女の秘密はこれ以上明かされることはないでしょう。というのも、親族は彼女の死後、手紙のほとんどを焼却してしまい、彼女の人生に関する詳細はほんの少ししか残されていないのです。

オースティンの思いは、彼女の作品とこの小さな机、そして彼女が大切にしていたいくつかのオブジェに残されているのみです。

1868年、画家のエドゥアール・マネはフランスの文豪エミール・ゾラの肖像画を描きました。絵の中にいる28歳のゾラは、さまざまな物が乱雑に置かれた小さな机に向かっています。

この机はマネのアトリエにあったものですが、それから10年後、パリ近郊メダンの屋敷でゾラが使った机は、この机と奇妙なほどよく似ていながらも、それよりもはるかに大きなものでした。

全20巻の小説からなる超大作『ルーゴン=マッカール叢書』の作者として知られるゾラは、ルネサンス様式のステンドグラスを前に、機械仕掛けのおもちゃやシノワズリ様式の装飾品に囲まれて執筆に打ち込みました。

そんな彼の背後には、ポール・セザンヌが描いたことで知られる黒い時計と、ギリシャ神殿風のカリアティード(女性人像柱)に囲まれた立派な暖炉が。

仕事用の椅子として使われた背もたれの高い革張りのソファには、「神が望むのならば、私も望む」というモットーが記されていました。

「働く喜びが仕事を完璧なものにする」

アリストテレス

カラーブロックを活かした〈ビュリー〉の東京のオフィス

左/1951年、南仏ロクブリュヌ=カプ=マルタンに建てられたル・コルビュジエの休暇小屋の内部右/パリのオテル・ド・ブリエンヌにあるジョルジュ・クレマンソーの執務室

木肌の光沢

1951年、建築家のル・コルビュジエは、徹底したミニマリズムを凝縮させた最小限の生活空間というユニークなアイデアを具現化させるため、南仏マントンからほど近いロクブリュヌ=キャップ=マルタンの海岸に「キャバノン」と名付けた休憩小屋を建てました。

地中海沿岸に見られる伝統的な小屋をモデルに設計されたこの木造建築物の総面積は15平方メートル、高さは2.26メートル。

そんな小さな空間の中には、休息スペース、仕事場、洗面所スペースがしっかり備えられています。

「私はコート・ダジュールに3.66メートル四方の城を持っています。それは私の妻のためのもので、贅沢な快適さと優しさにあふれています」というル・コルビュジエの言葉からは、この小さな家への愛着が感じられます。1965年8月27日、岩の上に建つこの城のふもとで遊泳中に彼は亡くなりました。

1915年から1918年にかけて首相兼戦争省大臣を務めたジョルジュ・クレマンソーは、軍事省が所在するパリのオテル・ド・ブリエンヌにある大きな木製デスクで参謀本部とともに昼夜を問わずフランス軍の戦術的移動や戦闘を指揮しながら、犠牲者たちの死を悼んでいたのかもしれません。

その政治的立場における強固な態度から「虎」と恐れられた彼は、優美なヴェルサイユ張りの床に置かれた重厚な仕事机の前で、ヨーロッパの未来がかかった巨大な地図に目を凝らしたことでしょう。

そしてついに1918年11月11日、彼は自身の執務室の窓から待望の平和と休戦宣言をしたのです。

「私は作家としての自己規律を
常に誇りに思ってきた。
仕事のようにこなす。朝起き、机に向かう」

サルマン・ラシュディ

パリの本社オフィスの入口に立てかけられた宅配サービス用の自転車

「私が執筆している間、
愛猫がまるで文鎮のように
机の上に座っています」

レイ・ブラッドベリ

番外編

シュルレアリストたちが夢見た幻想的な世界がそのまま落とし込まれたかのような〈ビュリー〉の公式オンラインストア。


パリ本社の中央に位置するEC部門では、お客様のオフィスを彩る香り豊かなアイテムが、スタッフの手でひとつひとつ丁寧に用意されています。

〈ビュリー〉のブティックのように美しい、EC部門のスタジオ

Not to be listened to at the office.
オフィスでは聞かないこと。

OFFICINE UNIVERSELLE BULY PRESENTS

菜園の香り

ボディとフェイスのお手入れに美容道具

〈ビュリー〉のブティック

お肌を健やかに整える植物オイル

コレクションしたくなる

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サヴォン・スゥペールファン〉に刻めるモノグラムデザイン

香りのバスソルト

お香と香木

お部屋を彩るルームフレグランス

数えきれないほどのラッピングとイニシャル

世界にただひとつの〈ビュリー

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